ティクナットハン(タイ)の代表的な詩の朗読をお聴きください。この詩は、私たちがいかに周囲の世界、それも害をなす者から自分を切り離すことができないか、深い洞察を反映しています。この詩をもとにした歌もお聴きください。
「私を本当の名前で呼んでください」ティクナットハン
明日には行ってしまうのかと 私に言わないで–
今日すでに ここにやってきているのだから
深く見つめてほしい 一瞬ごとに私はここに着いている
春の枝先の芽ぐみとなり
出来立ての巣でさえずりはじめた
まだ羽根生えそろわぬ雛鳥となり
花芯に棲<す>む芋虫や
石の中にひそむ宝石となって
私は今もやってくる
笑い そして泣くために
恐れ そして望むために
この胸の鼓動は
生きとし生けるものすべての
生と死をきざむ
私は蜻蛉<かげろう>
川面<かわも>で脱皮しようとする
そして私は鳥
舞い降りてその蜻蛉を飲みこむところ
私は蛙
澄んだ池の水の中をのびのびと泳ぐ
そして私は草蛇
蛙をひと飲みしようと忍び寄る
私はウガンダの子ども
骨と皮ばかりになり やせた両脚は竹の棒のよう
そして私は武器商人
ウガンダに死をもたらす兵器を売りつける
私は十二歳の少女
小さな舟で逃れる避難民
海賊に辱<はずかし>めを受けたあと
みずから海に身を投げた
そして私は海賊
私のハートはいまもなお 理解と愛を知ることがない
私は政治局員
大いなる権力をこの手ににぎる
そして私は強制収容所で
緩慢な死を迎えようとする男
「血の負債」を国民に払うため
私の喜びは春のよう
その暖かさで 世界中の花を開かせる
私の痛みは涙の川のよう
溢<あふ>れかえって 四つの海を満たす
私を本当の名前で呼んでください
私のすべての嘆きと笑いが
一度に聞こえるように
私の喜びと苦しみがひとつであると
わかるように
私を本当の名前で呼んでください
私が目覚め
このハートのとびらが開け放たれるように
慈悲という名のとびらが
脚注:1978年、ボートピープル援助の仕事の中で書いた詩。オランダはアムステルダムの、ニコ・タイドマンが設立したコスモスセンターのリトリートで初めて朗読された。そこにはダニエル・ベリガンも臨席していた
島田啓介訳
ティク・ナット・ハン詩集「私を本当の名前で呼んでください」より(野草社)
ティクナットハンが語る、詩の背景
ベトナム戦争後、プラムヴィレッジには多くの人から手紙が寄せられました。シンガポール、マレーシア、インドネシア、タイ、フィリピンの難民キャンプから、毎週何百通もの手紙が届きました。それらを読むのはとても辛いことでしたが、彼らと連絡を取り合う必要がありました。私たちは最善を尽くしましたが、その苦しみは甚大で、時には落胆することもありました。ベトナムから逃げてきたボートピープルの半数は海で死に、東南アジアの海岸に到着したのは半数だったと言われています。
多くの若い少女たちがボートで海賊にレイプされました。国連や多くの国がタイ政府に協力して、そのような海賊行為を防ごうとしても、海賊は難民に多くの苦しみを与え続けました。ある日、私たちのもとに、タイの海賊にレイプされた小舟の少女について語る手紙が届きました。
まだ12歳のその少女は、海に飛び込んで溺死しまいました。そのことを初めて知ったとき、海賊に怒りを覚えました。自然と少女の味方をします。しかし、もっと深く見てみると、違った見方ができるようになります。少女の味方をするのは簡単なことです。銃を持って海賊を撃てばいいだけです。でも、そういうわけにはいきません。瞑想中、もし私が海賊の村に生まれ、彼と同じ環境で育っていたら、私も今は海賊になっていたということを知りました。私も海賊になる可能性は大いにあるのです。自分を責めることは簡単ではありません。瞑想中、シャム湾沿いでは毎日何百人もの赤ん坊が生まれ、教育者、ソーシャルワーカー、政治家などがこの状況を何とかしなければ、25年後にはそのうちの何人かが海賊になるのだということも知りました。それは確かなことです。もし、私たちが、その漁村で今生まれたとしたら、25年後には海賊になっているかもしれないのです。もし、あなたが銃を持って海賊を撃つなら、私たち全員を撃つことになります。このような状態になったのは、私たち全員にある程度の責任があるからです。
長い瞑想の後、私はこの詩を書きました。12歳の少女、海賊、そして私の3人が登場します。私たちは互いを見つめ合い、互いの中に自分を認めることができるだろうか。この詩のタイトルは「私を本当の名前で呼んでください」です。この中の一つの名前を聞いたら、私は “はい “と答えなければならないのです。
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